脱原発をブームで終わらせないために2011/11/18 22:10

9・19の6万人集会から2ヶ月、原発をとりまく情況はどう変わったのだろうか?脱原発への確かな手応えが感じられるのかというと、残念ながらNOと言わなければならない。
私自身のことについて言えば、何人かの脱原発を考えている人と新たに知り合いになった、講演会に出かけた、お茶会に誘われた、地域の人との集まりを企画したといったことだが、同じようなことは4月からやっていた、ただ会う顔ぶれが変わったり、また同じ人と思いもよらぬ別な場所であったり、少しずつネットワークが広がったと言えなくもないとが、決してよい方向へ劇的に動いていないことは全体の情況と同じだ。
東電の福島第1原発にしても、今でも放射能が出続けているようだ、先週発売の週刊金曜日871号によれば、「10月上旬の時点でも、原子炉からはセシウム134とセシウム137が1時間あたり1億ベクレル(1日あたり24億ベクレル)の放出が続いている、と東京電力は発表している。」となっているし、汚染食品は出回っているし、下水処理場や浄水場の汚泥もたまる一方だろうし、ゴミ焼却場でも同じ情況だろう。そしてがれきは全国に拡散した。汚染された土もそのままだ。
それなのに、東電はつぶれないばかりか、自分で世界を汚しておいて全く責任をと取ろうとしない無責任体質のままだ。

チェルノブイリのあと、今回と同じように、原発やめようと反原発の風潮は大きく広がった。いろいろな原発問題を考える団体が出来たし、参議院選には、脱原発を掲げるミニ政党がたくさんの候補者を立てた。大規模なデモもあったし、反原発のたくさんのベストセラーも生まれた。雑誌の特集も反原発花盛りだった。小出さんのような立場が広瀬隆だったのかなと思うし、福岡のおかあさんが書いた「まだまにあうのなら」なんて本もあったなあ。「チェルノブイリクライシス」という映画もあった。当時は現在にとってのチェルノブイリにあたるものが、アメリカのスリーマイル島原発事故だったから、スリーマイルに関する本も読まれていたな。

でもそれがいつの間にか尻すぼみ、反原発はどこかにいってしまった。勿論、原発の地元や新規立地計画の対象地域には、地道な反対運動があって、そのおかげで造られずにすんだ原発があることは知っている。個人的には新潟県の巻と福島県の浪江には、昔知り合った人がいるし、私も何回いか現地に行っても見たし、そこで主体的に原発反対運動を担ってきて、結局造らせなかった人々の努力と苦労には本当に頭が下がる。ありがとうと言いたい。それ以外にも、映画になった上関の人々や、記録になっている芦浜の人々などそのような人々は各地にいる。

しかし、いつの間にか日本列島に原発が54基も建ち、原子力は地球環境に優しく、資源に乏しい日本には無くてはならないクリーンなエネルギーという位置づけになっていた。

なんでそんなことがおきたのか、原発の危険性については、チェルノブイリのあとあれほどさんざん言われていたのに、そのときの問題が解決したわけでも、間違いだったとされたわけでもないのに、なぜ正反対のことになってしまったのか、それをしっかりと考えないと、また同じ道を繰り返すことになるだろう。それは私たちの未来にとって決してやってはならないことだ。(まあ、未来があればの話だが・・・)

チェルノブイリ事故後、言われていた原発の問題を当時の雑誌や本で確認してみると
・事故が起きたら大変なことになるのはスリーマイル、チェルノブイリを見ればあきらかである
・日本の原発もしょっちゅう事故を起こしているが、そのうち重大な事故を起こすだろう
・日本列島は地震地帯にあり、原発の立地には向いていない
・さらに原発によっては断層のデータが捏造された所に建っている(建てようとしている)ものもある
・立地自治体への補助金漬けなどの問題があり、民主的でない
・原発ジプシーと言われる下請け作業員の被曝や人権を無視した労働条件も問題である
・放射性廃棄物の問題が解決されていないので原発はトイレのないマンションみたいなものである
・原発に飛行機が墜落したり、外国(ソ連など)に攻撃されたら原爆が落ちたのと同じことになる
・ウランは国内でほとんど採れないので外国に燃料を依存するのは良くない
・核燃料サイクルは、大変危険である(プルトニュウムの問題と輸送上の安全性の問題)
・唯一の被爆国なのに原発はおかしいだろう(利用するのも嫌だし、核兵器すぐ作れる)
・ウラン鉱山、原発周辺、再処理工場周辺はガンや白血病の発症率が高い
・電気の大消費地には危険で建てられないものを過疎地に造るのはおかしいだろう
・原発から消費地まで送電するとかなりのロスがある
・原発は電気の需要に合わせたこまめな出力調整ができない
・国内の高速道路などを使った核燃料輸送も危険だ
・情報が正しく公開されていない(データ捏造、事故隠しも含む)
・被害が出たら、そこの人間だけでなく多くの生き物、子孫にまで重大な影響が出る
・大量の熱が出て海があたたまってしまうし、海が汚れる(漁業に影響)
・地域を分断する(推進派と反対派)
・大きいことは良いことだという風潮はやめたい

そんなところだ、どうだろう、今言われていることと同じだよね。そして当時も安保闘争や反基地闘争、三里塚闘争などの戦闘的なデモと違い、チェルノブイリ後の反原発のデモは、子連れでお母さんが参加しているものも多く、新しい動きですねと言われていたように思う。勿論ブル新(ブルジョア新聞のこと、マスコミ=新聞は、ブルジョアジーの御用機関にしか過ぎないからそう言ってた)やテレビでは報道されなかったけれど・・・

当時はインターネットなど全然普及していない状態でせいぜいパソコン通信だし、さらには、コンピュータというかワープロさえ高価で、手書きのミニコミ誌(紙)が主流だった。だから情報の伝達は大変で、手紙の切手代がもったいないのでハガキ通信なんかも多かったなあ。「週刊金曜日」はまだなかったし、講談社から発行されていた旧「DAYS JAPAN」は原発に関する記事が多かったなあ。これが廃刊されたことも反原発運動がポシャった一因だと思います。そうするとアグネス・チャンは原子力村に関係があるのだろうか?(旧「DAYS JAPAN」が廃刊になったのは、講演料が高すぎるという記事のなかのアグネスのものが間違っていたからという不可思議なものだった)

さて、当時反原発運動に関わっていた人がどうなっていったのか、本当は自分のことを書くべきなんだろうけれど、それはもう少し自分の中で整理してからにする。今回は当時関わりのあった何人かの人のことを書いてみたい。
最初に断っておくが、彼らのことを批判しているわけでも、まして非難しているなんてことは全く無い。当時20代の前半だった私は彼らの知識や行動力についてはもちろん、人間として尊敬していたし、もうだいぶ会っていないけれど今でもそれは変わらないと思う。それから、あくまでもこれは私にはそう見えたということであり、本当のところ、彼らがどう思ってそのような行動をしたのかは、おそらく本人にしかわからないのだろうと思う。

・Aさん  反原発の団体を作ってリーダーになり講演会を企画したり様々な団体と連携して署名運動などをしていた。わたしも彼が主催するある講演会にいって知り合った。数回お宅にお邪魔したこともある。実家は大きな稲作農家だった。無農薬農業などに親と対立しながら取り組んでいたが、六ケ所村の問題を考えるようになってから、やはり現地に行かなければだめだと行って、六ケ所村に行った。その後連絡していない。今でも六ケ所村にいるのだろうか?その団体も自然消滅したようだ。

・Bさん  一緒にある野鳥の観察をやっていた人。観察をしながらその鳥が棲める環境と原発は相いれないと言う話になる。当時の風潮として反原発とまではいかなくても、原発ちょっと危ないかもというのは誰にでもあった。伊方原発の出力調整試験反対の署名はしてくれたが、そのうち原発と鳥が棲める環境は相入れないかもしれないが、反原発を大きな声で言うよりも今、野鳥を見るほうがいいとなって、反原発と私がいうことを嫌がるようになってお互い離れて行った。

・Cさん  電気を停められるまで東電への料金不払い運動や、原発安全番組を流すNHK料金不払い運動などやっていた。(それらの不払い運動から学ぶところは多かった)そのうち、反対運動なんかするのはおこがましい、エネルギーを大量に使う暮らしを改め、朝日とともに起き夕日とともに寝る、大地に足をつけた生活こそ全てだと「これからは田舎暮らしをするんだ、俺は黒板五郎のような生活がいいんだ」と北海道に行ってしまった。その後、風の噂でカナダに行ったと聞いた。私が栗山に住んだのも彼の影響かもしれない。

結局の所、原発って言う奴は人様に迷惑をかけるシステムってところがいけないので、自然の摂理に反する人工の放射性物質をつくりだしているんだから、自分は地に足を着けて自然とともに生きることにする。人のことをとやかく言うことは原発と同じ原理だと、自己完結していく人が多かった。自己完結というのがダメなら、ラディカルに考えてそれを突き詰めて行くと、そういう生き様になるんだと思う。または、現地で暮らしていないでなにがわかるとなるんだろう。それらの考え方わかる、本当にその通りだと思う。何も考えないで都会で電気使い放題の暮らしをして、政府やマスコミの言うことを信じている人に比べたらよっぽどいいだけでなく、政府や東電の批判ばっかりしている私なんかよりよっぽど素晴らしいんだろう。
でも、それじゃあ絶対ダメなんだ、未来は変わらないんだと思う。

全共闘にしたって、その主張は間違っていなかったんだと思う。でも多くの人が運動の中で社会を変えることから自分の生き方を変える方向に行ったり、若さゆえのあやまちだったと運動そのものを否定していった。それはないんじゃないかと思う。チェルノブイリの時も同じだ。自分で問題を提起して、その問題の立て方は間違っていなかったのに、社会を変えるのではなく、自分の生き方を変える方向に行くか、原発やめるなんて無理だったんだとなっていった。だからだめだった。

今回もこのままいけば、やはり個人の生き方や考え方に収束していったり、やっぱり無理とか、疲れたとか、どうせ汚れちまったんだからとか、なっていくんじゃないか、日本人ってそういうこと多いのではないか、炭焼きの原氏の「政府や東電を批判しているうちは原発問題は収束しないしさせてはいけない」という話はそうなる危険性があると感じた。きちんと政府と東電の責任を追及し続け、責任をとらせ、脱原発を実行していくことが唯一の解決策で、やらなくてはならない、私たちの責任なんだと思う。そのためになんと非難されても東電と政府をはじめ全ての原子力推進派に落とし前をつけさせることだけが私たちの考えることなんだと思う。
その過程で一人一人が原発に対して今までどういうことを考え、どういうことをやってきたか、またはやらないできたかきちんと明らかにすることが必要なんだと思う。武田邦彦も江川紹子も小佐古敏荘も、菊池誠も児玉龍彦もそうだし、もちろん私もやらなければと思っている。

コメント

_ iwama ― 2011/12/21 22:24

塩谷のiwamaです。その後いかがおすごしですか?私が今体験している事は、多くの先輩方が体験したことをなぞっているのですね。同じ過程をグルグル回ってる・・・それでも、螺旋のように少しでも人類全体が進化していると信じたいです。

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